「人はビジネスの材料ではなくて財産なんだ。だから人材ではなく人財と呼ぶべきだ」。まあ、実際には話し言葉だと人材と人財の区別がつかないから、もっとまどろっこしく話したのだが、要はこんな言い分だった。私がその前に「なぜ人財のような欺瞞(ぎまん)的な言葉を使うのだ」と挑発的に聞いたこともあってか、その経営者はかなり上から目線で言い放った。幸い他の記者が人財と言い換える恥ずかしさを知らなかったようなので、この人は赤っ恥をかかずに済んだ。だが、上から目線でそんな話をするのは、あまりにイタい。
何で恥ずかしいかと言うと、人材の材を材料の材だと思っている点だ。材という言葉には材料という意味の他に、持って生まれた才能や能力という意味がある。つまり人材はビジネスの材料として使われる人ではなく、ビジネス上の才能や能力のある人を意味する。納得できないなら自分で調べてみるとよい。すぐに「人材とは、才能があり役に立つ人」といった説明に出くわすはずだ。ついでに言えば、そうした才能や能力がとりわけ優れた人を何と呼ぶか。そう、「逸材」だ。
1つは「社員を財産のように大切に思っている」とアピールすることで「人の仕入れ」、つまり求人の際に好印象を求職者に与えようという魂胆だ。もう1つは客に対するピーアール材料にしようとする思惑である。つまり「我が社は社員を大切にしていますので、誰もが皆やる気をもってお客さまのために働きますよ」というわけだ。
引用元:https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00148/111100201/
なかなか厳しい意見です。自分も人材の意味も知らずに、人財を使ったことがあります。
ただそこには、何もやましい気持ちはなく、本当に人が大切であることを伝えたかったためです。
会社は人がいないと成り立ちません。でも会社は人を最後まで守ってくれません。そういう意味だと人財の方が正しいのかもしれません。いつでも切り離せるという意味では。
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