「なぜ大企業ではイノベーションが産まれないのか?」という議題が定期的にあがるが、僕から言わせれば”おとなしさ”の源である社会性をそこまで浸透させておいてイノベーションを望むだなんて、まるでアクセルを踏みながらブレーキを踏むようなものだ。
例え話をしよう。もし中学校や高校に通い知恵を身に着けた子供が、そこで学んだ事を使って家族を「イノベーション」したとしよう。
仮にそれでもって家族の生産性が大きく向上し、結果として子供の発言権が大きく向上したとしたら…果たして家長である父や母はわが子を元のように可愛がれるだろうか?
家の閉塞感が嫌だから…人は家族から自立する。
大企業の硬直化した環境に辟易して…人はベンチャー企業を立ち上げる。
そして大学での社会性の乱に気が狂いそうになって…人は論文を書くのである。
居心地の悪さというものも、ある種の成功の母的な何かなのだろう。
そしてそれらが止まずに生み出され続けるのは、たぶんそれが無いと人は駆り立てられないからである。
タイトルからは連想できない箇所の引用になってしまいました。
アクセルを踏みながらブレーキを踏むというのも、その通りだと思います。
規則でガンジガラメにしておきながら、イノベーションと簡単に口に出す。
既存のままだとダメだから変化しないといけないなど、偉そうなことも口にする。
確かにそれらの矛盾に対するイラ立ちが、
次への一歩を踏み出すキッカケを与えてくれるのかもしれません。
ただ、会社の外へ踏み出す一歩にならないことを祈ります。
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