正しいか正しくないかでいえば…正論をぶちまけている側にも一定の理はある。
だが、それは若さ故に真剣勝負を繰り広げる事が許された学生時代限定の行いだったと考えた方が遥かに建設的で、この態度を社会人以降にもなって続けるのはあまりにも分が悪い。
いくらやっている事が正しかろうが…社会をキチンと回せていない時点で駄目なのだ。
間違っていようが社会がキチンと回ることこそが肝心で、そういう意味では”過ち”は時に”正論”を超えるのである。
正しさはある面では正義だが、それは万能ではない。
間違いであろうが社会を回せるのなら、間違いを許せるという事は時には正しさを超えるのだ。
自分は100%正しく、相手は100%間違っているという立ち振舞いは、仮にそれが本当にそうであったとしてもコミュニケーションではない。
人を管理するのに、なにも難しい人心掌握術などを使用する必要はない。
正しい・正しくないというフィルターを外し、間違いを時に必要な多様性として捉え、他人とコミュニケーションをする。
こういう胆力ある立ち振る舞いを、私達は身にまとわなくてはいけないのである。
引用元:https://blog.tinect.jp/?p=74242
正論は正しい。
けどそれだけでは先に進めないこともある。
それを本人は分かってくれない。
あまりにも頑なすぎる。
失敗するのが怖いから?
責任を負わされたくないから?
あまりにも固すぎる。
自分自分で気付いて欲しい、、、
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