もう一つ意識したのは、「美しい文字がよいこと」と押しつけないこと。
美しい文字によって社会はまわっているし、教科書の字もきれいな方がいい。でも、それから外れている汚文字がその下位にあるわけではない。
「見る人に伝われば美文字になる。王道な美ではなくても、良い文字を私は書いている」
石綿さんは自分が書いてきた汚文字を「大好きだ」と明言します。
20年以上書いてきた、自分しか書けない字。からかわれてきた分、他の人よりも文字について考えた時間も長かった。決して良い思い出だけではないかもしれないが、そんな風に密接な関わりを過ごしてきた「文字」について、こう話します。
「嫌いになんてなれるはずないじゃないですか」
引用元:https://withnews.jp/article/f0230314000qq000000000000000W09j10101qq000025576A
とても心があたたかくなるお話しでした。
何が美かは、見る人が決めるものかもしれませんが、
自分がよければ、それでいいとも思います。
それでも真摯に向かい合うことができるなんて素敵です。
私も昔から汚い字のままです。
それでも毎日日記を書いてます。
汚い字なりに活きている気もします。
そして今日も日記を書きます。
読み返すことのない日記を。
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