何のために働くのか――。
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人間は、自らの心を高めるために働く――私はそう考えています。
働くことは人間を鍛え、心を磨き、「人生において価値あるもの」をつかみ取るための尊くて、もっとも重要な行為であることを――。
働くということの最大の目的は、労働に従事する私たち自身の心を練磨し、人間性を高めることにある。つまり、ただひたむきに、目の前の自分のなすべき仕事に打ち込み、精魂を込めて働く。そのことで、私たちは自らの内面を耕し、深く厚みのある人格をつくり上げることができると言われるのです。
「働くことが、人をつくる」――すなわち日々の仕事にしっかりと励むことによって、自己を確立し、人間的な完成に近づいていく。そのような例は、古今東西を問わず、枚挙にいとまがありません。世の偉人伝をひもとくと、必ずそのような事実に行き当たります。
功成り名を遂げた誰もが、例外なく、努力を惜しまず、辛苦を重ねながら、自分のなすべき仕事に没頭しています。そして、その果てしのない努力を通じて、偉大な功績を成し遂げるとともに、素晴らしい人間性をもまたわがものとしているのです。
つまり、欧米の人にとっては、働くことはもともと苦痛に満ちた、忌むべき行為なのです。そこから「仕事はなるべく短い時間にすませ、なるべく多くの報酬を得たほうがいい」とする、近代の労働観が生まれてきたようにも思えます。
しかし、日本にはもともと、そのような労働観はありませんでした。
それどころか、働くことはたしかにつらいことも伴いますが、それ以上に、喜びや誇り、生きがいを与えてくれる、尊厳ある行為だと考えられてきたのです。そのため、かつて日本人は、職業の別を問わず、朝から晩まで惜しみなく働き続けました。
引用元:https://diamond.jp/articles/-/309951
日本人は、自らの心を高めるために働く。
しかし近年、社会の西洋化に伴い、日本人の労働観も大きく変貌を遂げてしまいました。
とのことです。
確かに、生産性を高くしろだとか
年功序列、終身雇用は終わりだとか
転職者ばかりが増えてしまった時代の気もします。
仕事を教えても、辞めて行ってしまう。
数ヶ月かけて教えても、数年も経たずに辞めてしまいます。
本当の意味で仕事というものを教えることができていないのでしょう。
昔は背中を見せているだけで良かったのかもしれません。
もしかしたら今も同じなのかもしれません。
ただ、魅力ある背中が少なくなっているだけなのかもしれません。
背負いきれないものが多くなり過ぎているのかもしれません。
そんな世の中ですが、「自らの心を高めるために働く」
この気持ちだけは持ち続けていたいです。
例え、時代遅れと言われようが、、、
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